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about
Tarika.

Taoist way of Divain femininity

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魔タリカ743年のヒストリーなので、少し長めです。

お付き合いくださったあなたは、タリカ の秘密をほとんど握ったといっても過言ではありません!

   なんとなく、人生概観

学生時代は将来を嘱望されるアスリーターで、オリンピックのジュニア強化選手リストにも入っていた本物の体育会系。黙って大人に従っていれば今頃学校で体育の先生だったかもしれないが、けっこう大変な青春時代を経てすっかり人間に失望して、聖なる傷ネタをたくさん受ける。

そのころに母を亡くし、死んだ後どうなるのか?人の命がどこからやってきて、どこへ還るのか?宇宙の果てはどうなっているのか?なぜ人類は金星や火星、月に生き物がいないと断定するのか(当時は)? 人の意識が作り出す現実について、周りにそういうことを聞ける、または話せる大人を見つけられずに、とりあえず興味のままに独学を続ける。

​社会に出てからはずっと美容の仕事一筋、フリーランスのヘアメイクという不安定な仕事をしながらシングルマザーとしてひとり娘を育ててきた。やがてオーラソーマやフラワーエッセンスなどの魔法に満ちた世界に出会ってハマりこみ、やっぱり人間には感知できない次元に脈動する「何か」があったのだと喜んでハマる。

   

   私にとってのヘアメイクとは、魂が醸し出す美しさの表現である。

子供時代から、暇さえあれば絵を描いていた。漫画家や絵を描く仕事に憧れたが、職業にできるほどのパッションとテクニックが不足していることはすぐにわかった。が、紙ではなくて生きた人の顔をキャンパスにすることは、自分にとって紙の何倍も面白いことに気づいた。

普通の少女時代の例に漏れず、自分の外見に相当なコンプレックスがあり、なんとかできないものかと四苦八苦する時間が、美容への興味を育てた時間だった。美容師になったはいいけど、やはり一箇所に止まっていられず、美容室ではなく毎日現場が変わる不安定なフリーランスのヘアメイクの方が心が喜ぶのでそっち方面へ。どれほど大勢の顔に触れたか数えられないほど人の顔に触れてきた(多分万単位だと思う)。人の顔に触れて、焦点を当てると、その人の命や人生、食べているもの、暮らし方、考え方、人間関係などに関する膨大な情報が流れ込んで来ることに驚愕しつつ、その人の真の美しさが輝き出す瞬間を見ることに快感を見出した。魂の醸し出す「黄金律」と宇宙の規則性とも言えるものは、「顔」に現れていることを知り、美醜の基準は社会通念が定義しているにすぎないこと、それに踊らされて人生を無駄に浪費してはいけないのだと思い知る。

リーマンショックを転機に、ヘアメイクとスピリチュアルな仕事の二股だった軸足の重心を、一気にスピリチュアルに移したが、人の真の輝く姿を表現できたときに、自分もまたそこに一歩近づけるような気がして、この仕事はやめられない。

 

 

   ヒーリングスクール  ー運命の輪が回った場所ー

1995年あたりに初めて一人で「光の手」の著者、バーバラ・アン・ブレナンのワークショップに参加して、運命の師に出会った。1997年あたりにB.ブレナンから独立した師が開いたヒーリングスクールに通い始める。

今でも鮮明に師との出会いのシーンを憶えている。彼女は光の雨が降り注ぐ中からこちらに向かって歩いてきたのだ。こんなことが人生に起こるとは!

​ヒーリングスクールでは、ハンズオン・ヒーリングやフラワーエッセンス(Bach、FESを中心に)、チャネリングなど、アルケミーの伝統に基づく長期的で系統的なトレーニングでゲシュタルトの崩壊が起こった。

全くグラウンディングを欠いたひどい劣等生だったが、学ぶことがこんなに楽しいことだったのだと教えてもらい、水を得た魚のようになった。スピリチュアルな物心がついた重要な時期に、必要なことはすべてここで教わった。師は私の霊的な姉で、母のようなものだ。トータル9年ほど在籍して、自主卒業する。

   BIPS ー身体心理統合療法 ースピリチュアル・エマージェンシーからの脱出ー

ヒーリングスクールで必須とされた心理療法の個人セッションは、20年以上同じセラピストにお世話になった。自主卒業を決めるまでは、スピリチュアルエマージェンシーとも言えるような魂の暗闇的時期を過ごしたので、この心理療法の助けなしに乗り切れたとは到底思えない。

ヒーリングスクールでは、魔術的要素に満ちたフラワーエッセンスや、魂のアルケミープロセスのハンズオン・ヒーリングの理解のため、象徴や元型、夢、アート療法、シャーマニックなワークなど、ユング派の理論を主に学んでユング派のセッションも受けたが、言葉だけのカウンセリングではどうしても正直に自分の内面に向き合えず、微妙にその場を取り繕って逃げ出す自分に気づいた。このネオライヒ派の身体心理統合療法のセッションは、全く、恐ろしいほどに(ホラーかスリラーくらいに!)自分に正直にならざるを得ないもので、これもゲシュタルトの崩壊。

だいぶ後になって、女神のワークの中でファシリテーター認定を行うことを決めた時に、改めて深く自分のことに正直に向き合おうと決めて、ついにBIPSの4年間のトレーニングに入り、2019年にトレーニングを修了したが、個人セッションからトレーニング終了までに足掛け22年ほどかかったことになる。タリカのオリジナルワーク「女神プロジェクト」は、ユングのエッセンスとBIPSの心身統合理論がベースとなり、スピリチュアリティとセクシャリティの融合の場を創り出そうとする挑戦である。

   そしてタオイズム、チネイザンとの運命の赤い糸

スピリチュアル・エマージェンシーを脱出した後、しばらくのんきに遊んでいようと思っていたが本来のADHD的傾向がそれを許さず、インターネットの検索で見つけた「チネイザン」に興味を持って、これだ!という根拠のない直観と衝動に突き動かされて、初めて訪れる国、タイのタオガーデンでコースを受講したのは確か2005年ごろ。

一人の日本人もおらず、英語だけで行われるコースだった。

なにを検索していたかといえば、大腸過敏性症候群と、花粉症で薬も飲まずに延々と続くくしゃみで始まった尿もれの症状の改善。長年のストレス(生育歴も然り、それに加えて不規則なフリーランスのヘアメイク生活ー早朝から深夜まで長時間の撮影とわけのわからない人間関係ー)、スピリチュアル上級者(おそらくね)の中で、うまくやらねば、いい人にならないと、というつまらない思い込みに自ら首を絞められ、それに加えていい母親幻想の中のセックスのない清貧の生活は、下半身の冷えと内臓の下垂を促進させたに違いない。チネイザンの1週間のコース後、長年の悩みだった肌も身体も劇的な変化があった。たった1週間で!

私にとってチネイザンは、ヒーリングスクールで学んできた各臓器のヒーリングを深化させて、エネルギー体や微細身のみならず、肉体に完全に作用させる魅力的で強力なツールだった。

さらにそこでは、性を隠されたものではなく、健康な身体と精神を維持するための重要なものとして、普通にプラクティスされていた!まさに第2次ゲシュタルトの崩壊。

   Tarikaという名前の由来ーOSHO テイクサニヤス

スピリチュアルエマージェンシーの暗い闇夜に光を灯してくれたのは、OSHOだった。「あなたが死ぬまでは」を読んでいる間中ボロボロと泣いて、毎日涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり続けた。闇夜を照らした光のおかげで見えたものは、私の予想も、今まで生きていた世界の常識とも違いすぎて、ハンマーで殴られたくらいのショックを受け、まさに眠っていた自分が目を覚ました瞬間だった。私の心の中にOSHOはしっかりいるから、名前まではいらないと思ったが、それはある日突然やってきた。自分の名前(生まれた時にもらった)の音が、今の自分と合っていないという感覚が強烈だ。その頃にはすでにタントラのラダにも出会っていて、みんなそこでテイクサニヤスしていたので、そこでテイクするという選択肢もあったが、敢えてタオのインストラクターである友人サニヤシンに名前を決めてくれるよう頼んだのは、チベット仏教ゾクチェンに傾倒し、伝授を受けていたため、「霊的な血脈」への繋がりが、道を歩みやすいものすることを知っていたからだ。これをないがしろにすると源に繋がることができない、とは言わないが簡単ではなくなる。今振り返れば、やはりその感覚は正しかったのだと思える。

​魔・タリカ741歳、魂のR指定の秘密

2015年頃から定期発行を続けてきたメルマガでは「魔タリカ741歳」とご挨拶していて、「なんですか?それ。」とよく言われるが、テイクサニヤスクして私がもらった名前は「Ma.Deva.Tarika」で、「聖なる輝く星・女守護人」という意味がある。

Maとは女性を指す音で、Miss.とかMs.と同じく、ヒンディーでは名前の始めに必ずつく。Maという音と、「魔」は、同じ音で、同じところから来たのじゃないかと思われる。Devaは「神聖な」とか「聖なる」という意味だが「神聖な」の英語「Devain」は、「Devil」「悪魔」の語源でもある。​神聖さと悪魔はいつもセットで、切り離せない。悪魔の出身が「神聖さ」だというのは、様々な世界の現象を見れば納得する。Tarikaの「輝く星」はいつも夜空の闇の中、決して明るい太陽のもとではない。当時はまだ、こんなに女性性のことに取り組むことになろうとは夢にも思わず、もう一つの意味「女守護人」が、まるで預言のように感じる。ということで、私は「魔・タリカ」と称している。741歳は、実年齢を超越して、魂年齢で生きるということ。741歳ははっきり言って、若いと思う。シュタイナーは「魂は500年ごとに転生する」と、どこかで言ってたから、まだはな垂れ小僧くらいなのだ。魂のR指定=18禁、18歳以下は入場禁止。年齢だけは大人でも、精神的に成熟していない方は入場できません、ってこと。スピリチュアルでセクシーな発信を通して、魂が成熟した良質な人々と繋がっていきたいので、言霊の「結界」を張って、場を護っているというわけ。

   女神・タオ・タントラのセクシャリティが私を自由にしてくれた

以上のような様々なプロセスを経て、タオ・タントラのセクシャリティに繋がっていった。

身体を科学するシャーマニックな儀式のようなタオイズムは、体育会系の私にとってなんの疑いもなくしっくりとくる(この件はあちこちに書いているので割愛する)。

タントラの師、ラダのワークには、日本とイタリアでおそらく通算10年ほど通った。そこでは徹底的に自身の恥やエゴ、ジャッジメント、世界からの分離感、セクシャルなワークに取り組む時に湧いてくる得体の知れない恐怖と魅力に向き合った。厄介なことに、恐れと魅力は対をなす太陽と月のごとく、分かち難くセットなのだ。だがしかし、自分が性的な恐怖に向き合うほどに、いや増す自由の羽が広がる感覚は、今までに感じたことがないほどの軽やかさを与えてくれた。海外での特殊な体験を重ねる中で、日本人の良さ、素晴らしさと、その未成熟さも同時に再発見した。そして、徹底的にねじれたように見える世界の男性原理と社会通念のねじれやよじれを、せめて私の周りだけでも、少しでも解けないものかと深みにはまって今に至る。


 

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